玉露の淹れ方コンテストに出場してきました(2016)

2/28(日)に、玉露の上手い淹れ方コンテスト京都府予選に出場してきました。
去年に引き続き二回目。昨年は結構良かったので今年は頑張ろうと1週間前くらいから準備を。
お茶の葉の量は何グラムで、お湯の温度はこれくらいまで下げて、浸出時間はこのくらい、注ぎ方もこうやって…うん、こんなものかな。というところまでして会場に。

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結果は一回戦敗退。
他の人のを飲むと明らかに美味しい。自分が淹れたお茶は色も、味もまったくダメでした。
惜しくも無いほど完敗です。

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(決勝戦の模様)

その後、準決勝、決勝と他の方の淹れ方を見て。
みんな、淹れ方は様々です。

決勝戦の集計中に主催者の方のインストラクションがありました。
気をつけるポイント、作業の説明、その理由など味を良くする動作が明確で「そうか、なるほど!それは気づかなかった」という事ばかり。
やっぱり違うなぁなんて見ていました。

その後結果発表。地元の方が優勝されました。
その方のインタビューで「私はインストラクターの人がやるようなことはやってません。でも、美味しいお茶を飲んでもらおうといつも淹れています」
とおっしゃられたのを聞いてはっとしました。

私は最近お茶を淹れる時は温度計やタイマー、量りなどを使っています。
美味しく淹れるにはちゃんと時間や重さなどを計ってきっちり毎回同じようにしよう。
毎回同じ美味しさになるように。そう思ってやってました。

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でも、見ていて「美味しそう」ではないんですよね、計っていると。
理科の実験みたいで。
少なくとも「うわっ、美味しそう、飲んでみたい!」とは思いません。

気持ちがこもってないというか。

何秒経ったから次の工程へ。
何℃になったから注ごう。
何グラムになるように入れよう。

そんな数字に気をとられ、肝心のお茶の葉の状態、開き方、ちょっとした変化などが気づけなくなっていました。

見るべきところは数値じゃないんです。
多分、感覚とはそういうこと。
でもその感覚という不確定要素が怖くて、その感覚のブレを少なくするために数値の裏づけがあると安心で、だから数値化しようといろんな要素をはかって。

数字がわかると少しは安心して、今度は数値を守ろうとするようになって、次第に数値に縛られるようになって。数値さえ合わせておけば「まぁ、こんなもんだろう」と味のジャッジもいい加減になって。

だから今日の結果は当然で。

その中での今日の優勝者の一言。
「やり方は全く違う、ダメだという事もしてるかもしれないが美味しいお茶を飲んでもらおうとしている」

感覚でやるけどその感覚への信頼を持てるように。
毎回同じ量を注げる。
毎回同じ温度を指で感じられる。
その上で、お茶の状態のちょっとした変化に気づけるように。

優勝された方は毎日お茶をたくさん飲み、お客さんにもたくさん飲んでもらっているそうです。
やはり、感覚でも数をこなすのが大事だということですね。
これからは、もっと見るべきところを見て、気持ちをこめてお茶に向き合っていこうと思います。

うん、玉露は面白い!

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